取材・編集 藤岡 麻美 / 協力 水元 櫻
妊活中はメンタル面の不安が大きくなるもの。
「妊+(nintasu)」では、不妊に悩む人と不妊専門カウンセラーとのマッチングを行っています。
この記事では、妊活中の女性に寄り添うカウンセラーの活動内容や人柄についてご紹介します。第4弾の今回は妊活とキャリアの両立を叶える!幸せデザインコーチ萌黄さやかさんにお話を伺いました。
「困りごと」に目を向けた営業スタイルで女性初の営業部長へ
―萌黄さんのこれまでの経歴について教えてください。
大学を卒業して大手IT企業に就職し、営業職をしていました。法人営業をしていたのですが、お互いの立場もある中でお客様が私を一個人として信頼して悩みを話してくださることがとてもうれしく、やりがいを感じていました。
私がお客様の悩みを聞いていると、逆にお客様からも応援されるようになり、いい関係を築くことができました。一般的な営業のノウハウはありますが、それよりも会話の中でお客様が何に困っているのかに耳を傾けることを大切にしながら営業をしていました。
―営業職のころから会話を大切にし、悩み相談を受けていたのですね。
当時の営業職での経験がいまの妊活コーチの仕事へつながっています。
お客様と話していると本人も気づいていない悩みの根本が明らかになることが多く、会話の中で悩みを言語化してもらうことを意識していました。するとほとんどの場合、次に取るべき行動を本人がすでにわかっているので、力になれる部分があればサポートをしていました。
いろいろなお客様がいらっしゃいましたが、相手に心をひらいてもらうにはどうしたらいいのか。心で会話ができるようになるまで関係性を深めていく過程がとても楽しくやりがいを感じていました。
―今の活動のベースになっていますね。営業職のほかにはどのような仕事をされていたのですか。
第一子を出産後に管理職も経験しました。同期の中でも早い出世でしたし、初めての女性営業部長ということで嬉しかったです。
ほかにも80億円のプロジェクトリーダーなど責任のある案件を任せていただいて、本当に忙しく働いていました。
―ドラマで見るような、まさに「キャリアウーマン」。そんな印象を受けました。
同期だけで200人いる企業で、仕事もプライベートも充実していました。当時はよく「華やかだね」と言われていました(笑)。
誰にも言えなかった不妊治療。揺らぎ始めた「仕事への価値観」
―仕事にやりがいを感じている中、不妊治療を始めたのですか。
はい。妊活をはじめて半年で不妊治療をはじめました。クリニックで検査をして「あなたは普通には妊娠しない」と言われ頭が真っ白になったのを覚えています。「自分の体に欠陥がある」と言われている感覚になり、恥ずかしさから不妊であることは誰にも言わないと決心し、同僚や上司に伝えることなく不妊治療をはじめました。
営業成績が伸び始めている時期でもあったので「仕事の楽しさを手放したくない」「こんなことで負けたくない」という気持ちからも、周りに不妊治療をしていることを言う選択肢は持ち合わせていませんでした。
―同僚や上司に伝えず、仕事と不妊治療を両立させることは大変ではありませんでしたか。
誰にも言わない選択をしたことが自分を苦しめる結果になりました。
ホルモンサイクルに合わせた通院スケジュールに仕事を調整することはとてもむずかしく、会社に嘘をついて通院することも少なくありませんでした。どうしても仕事の調整ができず、診察をキャンセルしたときは病院から怒られたこともあります。
不妊治療をする選択をしているのは自分だと頭では理解していたものの、心では不妊を受け入れられずに「なんで私が不妊なんかに…」という気持ちを抱いていたことも、「誰にも言わない選択」をしたことに繋がっていたように思います。結果的に会社にも病院にも迷惑をかけることが多くなり、とてもつらかったです。
そこから「悩んでいる時間があるならその時間を使って挽回しよう」と思うようになり、必死に仕事も不妊治療も頑張りました。
―会社に嘘をついてでも不妊治療をしていることを言わない選択をしたのですね。その後、仕事と不妊治療を両立して出産されたのですか。
はい。不妊治療で第一子を妊娠、出産し、管理職に昇格した後、再び不妊治療で第二子を妊娠しました。第二子の妊娠中に切迫流産の診断をうけ約2ヶ月休職しましたが、無事出産することができました。
―管理職に昇格してから2人目の不妊治療をされたのですね。その時も会社に不妊治療をしていることを伝えなかったのですか。
2人目のときも会社には不妊治療をしていることを伝えなかったのですが、妊娠初期に切迫流産になり「もう嘘はつけない」と感じたので、そこで初めて上司に話しました。
その後、育休を経て復職しましたが、管理職に戻ることはできませんでした。
―その経験をどのように感じていますか。
管理職に戻れなかった理由を会社に聞くことはできなかったし、今は自分の不義理な態度や上司として至らない部分もあったと思えるのですが、当時は実質的なクビ宣告だと感じ、自分を全否定しました。
同時に管理職でなくなった自分を全否定していることに対して「出世することしか自分の価値観にはないんだ」と驚きました。
そこで「入社当時、私は出世したかったんだっけ?」「何のために働きたかったんだっけ?」という原点に戻り、「目の前の人の笑顔が見たかったんだ」ということを思い出しました。
休職中に感じた「鎧をぬぐ怖さ」その先に見つけた自分なりの幸せ
―仕事に対する価値観を改めて認識したのですね。その後の働き方に変化はありましたか。
一度、自分のキャリアを見つめ直したときに「私は営業としてお客様と対話するけれど会社に確認をしないと何もできない」と感じ、そこにすごくフラストレーションを感じていることに気づきました。そして「私自身で役に立ちたい」と強く思っていることにも気づきました。
セカンドキャリアを考えたときに、人生のターニングポイントになった不妊治療の経験を活かしたいと思い、働きながらNPO法人Fineの不妊ピア・カウンセラーを取得しました。
しかし、カウンセラー活動を始めようと思った矢先に会社から責任ある案件を任され、管理職で失敗しているという感覚があった私は「もう一度会社で頑張るか、それともカウンセラー活動を始めるか…」とても悩みました。しばらく悩みましたが、会社からもう一度チャンスをもらえたと思い、挽回する気持ちで必死に頑張りました。
―キャリアを見つめ直したうえで、もう一度会社で頑張ろうと思ったのですね。
はい。しかし、未経験の分野だったこともあり、無理をして体調を崩してしまいました。適応障害と診断され、働いていても涙がでてしまうくらいまで自分を追い込み、休職を余儀なくされました。
―休職中はどのように過ごしましたか。
仕事に一生懸命だった生活からいきなり何もしない時間ができて「この時間をどう使おうか」と考えたときに、「自分は何が好きで、何をしたいのか」ということが何もわかりませんでした。
これまで「キャリアの鎧」を身にまとっている状態が当たり前になっていたので、何重にも重なっていた鎧を脱ごうとする度に自分には何も残らないような恐怖を感じました。
体は残っているけど自分の心はどこにあるのかわからず、自信も喪失しましたね。
―そこからどのように再構築されたのですか。
コーチングを受けながら崩れたパーツを組み立てなおす作業を2年くらいして、今も再構築している最中です。
コーチングで「どんなあなたでも大丈夫だから、今思っていることを話して」と言ってもらえたことで、「たとえ常識から反していることだったとしても、自分が感じている気持ちを受け入れていい」という感覚を知りました。これは安心できる空間と信頼できる関係があったからこそ感じられたのだと思います。
―再構築して心境に変化はありましたか。
昔はグレーや黒など暗い色の服を着ることが多かったのですが明るい色の服も着るようになりました。最初は暗い色の服を着て鎧をまとっていた当時の自分を否定する気持ちから明るい服を選んでいると思っていたのですが、思い返せばもともと明るい色の服が好きだったんですよね。髪型も変わりました。昔は髪を伸ばすことも恥ずかしかったのですが今は伸ばしています。
外見もそうですが、鎧をまとっていた自分を受け入れ、今の自分の気持ちにも素直になって「自分はどうしたいのか」を基準に選びとっていくようになりました。
―外見も心境も変化している最中なんですね。
そうですね。今も恐る恐る「こっちも選んでいいのかな?」という感じです。「自分らしく生きる」ということは全てをさらけ出すイメージがあるので今でも怖く感じています。
だけど、自分なりの幸せは「自分」を出した先にあるとわかっているので、その怖さを乗り越えて自分が本当はどうありたいかを自分に問いかけながら進んでいます。
「休職も含めて私のキャリア」幸せデザインコーチとして再出発
―休職後のキャリアについて教えてください。
休職を経て「私自身で誰かの役に立ちたい」「目の前の人を笑顔にしたい」という自分が大切にしたい価値観に気づくことができました。コーチングを受けたことで自分と向き合うことができ、とても生きやすくなったので、次は自分が誰かをサポートしたいと思い退職をする決意をしました。
退職後はNPO法人Fineで不妊ピア・カウンセラーとしてカウンセリングや学生へのプレコンセプションケア、企業へ不妊当事者が必要としているサポートに関するセミナー講師をしています。個人では幸せデザインコーチとして妊活中・育児中の方向けのコーチングをしています。
―カウンセラーとコーチの二刀流でサポートしているのですね。カウンセリングとコーチングのちがいを教えてください。
コーチングは目標に最短でたどり着くためには何が必要なのかをセッションの中で見つけていくので、ベースとして心が元気な状態の人に行います。
目標がまだ定まっておらず心もついていけない状態の人はカウンセリングに切り替えます。行動できずにいる背景を辿ったり、あえて目標に向かうことを切り捨てて「今の自分」と向き合うことに注力したり、スタート地点に立つことを意識してもらえるようにしています。
スタートラインに立つことができればその先は自分でどうしていきたいのかが自然と見えるようになるので結果的に早く行動できるようになります。クライエントの心の状態をみて、その時々に応じてコーチングとカウンセリングのスキルを使い分けています。
カウンセリングもコーチングも自分の視点とは違う視点で見ることができたり、自分にはなかった選択肢を知ることができたりする時間だと思います。
―クライエントの状態によって使い分けるのですね。「妊活×キャリア」にしたのはターニングポイントになった「妊活」と、萌黄さんの人生の中で大きな部分を占めていた「仕事」の経験が影響しているのでしょうか。
そうですね。キャリアの定義もコーチングを受けていくうちに自分の中で変化がありました。
キャリアと聞くと「働いて稼ぐこと」をイメージしがちですが、働くことも、休職することも、転職することも、退職することも、すべてを含めてその人のキャリアだと思います。
「妊活とキャリアの両立」も妊活をしながら仕事をするということだけでなく、必要なときには誰かに頼ったり立ち止まったりしながら、長い目で見てキャリアを長く楽しく続けていく方法を見つけることだと思っています。
―「キャリア」という言葉が持つ意味を改めて考えるきっかけになりました。萌黄さんのキャッチフレーズ「幸せデザインコーチ」に込めた思いを教えてください。
私自身、これまでは「価値を提供する」ことに脅迫観念みたいなものがあったように思います。
「価値=お金」で表せると思っていました。そして、それが「=自分の価値」につながっていたことが自分で自分を苦しめる原因になっていました。
だけど今は有償か無償かではなく、自分がやりたいことや達成したいことをできているか、誰かに何かの価値を提供できているかということが自分の活動の軸になりました。その先に自分らしさがあることも、自然と幸せがついてくることもわかりました。そうした経験から幸せは自分でデザインできるという思いを込めて「幸せデザインコーチ」にしました。
「つまづきも人生の糧にしていける」すべては自分と向き合うことから
―萌黄さんにとって妊活はどのような経験でしたか。
不妊に悩んでいるようで不妊にまつわるいろいろなことに悩んでいたと思います。頑張っても結果がついてこない体験は本当に自信を失うものでしたし、人生で自分を一番否定していたのは妊活をしている時でした。
私は妊活中に誰にも相談できませんでしたが、その後、休職を経験して人に頼ることができたからこそ今の自分があると思っています。私にとって妊活も休職も「人生のつまづき」でしたが、「自分はどうしたいのか」を考えるきっかけになりましたし、そういう時に家族でも友達でもない信頼できるコーチと出会えたことが幸運でした。
―不妊にまつわる悩みは気軽に相談できる内容ではないからこそひとりで抱え込む人が多いと感じています。家族や友達に相談できない人は第三者を頼ることも大切ですね。最後に不妊に悩む方にメッセージをお願いできますか。
妊活中に誰にも相談できなかった私から伝えたいのは「どんな経験も自分の幸せをデザインしていくための糧になる」ということ。まとっていた鎧を私がひとつずつぬいでいったように、自分自身と向き合うことで辛い経験も幸せへと続くプロセスにすることができると信じています。
たとえ辛く苦しい日々が続いていたとしても「その経験があるから今の私がいる」と思えるようにする方法は自分と向き合っていくことです。自分と向き合った先に自分なりの幸せがきっと見つかると思います。
妊+にはいろいろなジャンルのカウンセラーがいるので自分の直感を信じて、今ピンときた人がいるなら一旦声をかけてみてほしいです。その直感はきっと間違っていないし、自分の幸せをデザインしていく感覚につながると思います。
気軽に相談できる内容ではないかもしれないけど、苦しみが大きいときこそ助けを求めていい、頼っていい、と伝えたいです。
―不妊であることを誰にも相談できなかった経験から、人に頼ることの大切さを知った萌黄さん。鎧をぬいで自分なりの幸せを見つけているその姿は、不妊治療も仕事も頑張っている多くの女性の支えになっていくことでしょう。今回は素敵なお話をお聞かせいただきありがとうございました。
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