身体からアプローチする妊活カウンセリング ストレスを和らげる身体の使い方とは

身体からアプローチする妊活カウンセリング ストレスを和らげる身体の使い方とは

取材・編集 藤岡 麻美 / 協力 新田 真紀子


妊活中はメンタル面の不安が大きくなるもの。
「妊+(nintasu)」では、不妊に悩む人と不妊専門カウンセラーとのマッチングを行っています。

この記事では、妊活中の女性に寄り添うカウンセラーの活動内容や人柄についてご紹介します。第3弾の今回は不妊ピア・カウンセラーでマインドフルネスの指導者でもある内藤潤さんにお話を伺いました。

(本人提供)
不妊ピア・カウンセラー 内藤 潤さん


「子どもと英語」好きを掛け合わせて選んだ道

―潤さんのこれまでの経歴について教えてください。

私の最初のキャリアは大手電機メーカーのシステムエンジニアとして8年ほど働いていました。28歳で結婚し、結婚後も働いていましたが仕事が忙しく夫婦の時間をとることもむずかしい日々でした。

結婚して2、3年経った頃に「私は夫の好きなものや嫌いなものもなにも知らない」と気づき、夫婦関係を立て直すために、プライベートの時間もとれる働き方を求めて退職を決意しました。

退職後は専門学校で英語を学んだり、保育の資格であるチャイルドマインダーの勉強をしたり、セカンドキャリアに向けて勉強を始めました。

―全くちがう分野の勉強ですね。もともと英語と子どもが好きだったのですか。

学生の頃から英語に関する仕事に興味はありました。子どもも好きで20代の頃からキリスト教会で信者さんの子どもたちに聖書を教えたり一緒に遊んだりするプログラムにも参加していました。

退職後のキャリアを考えたときに、大好きな「英語」と「子ども」を掛け合わせた仕事に就きたいと思い、J-SHINE(小学校英語教育推進協議会)の資格を取得し、英語講師と英語家庭教師を始めました。

―今はどのような活動をされているのですか。

歌うことも好きだったので、退職と同時にゴスペルも始め、2009年からゴスペルクワイアの指導も始めました。その後、家庭教師から少しずつゴスペル中心の生活になり、今は大学でパートの仕事をしながらゴスペル指導者をしています。

ほかにもマインドフルネスの指導者や、NPO法人Fineに所属し不妊ピア・カウンセラーとしての活動もしています。

不妊治療にすすめなかった30代。「子どもがいない人生」を受け入れられない日々

―英語家庭教師やゴスペル指導者などの幅広い活動は潤さんにどのような変化をもたらしましたか。

転職のおかげで夫婦の時間もとれるようになりました。でも、なかなか子どもはできませんでした。気軽に話せる内容でもありませんでしたし、「いつか子どもはできるだろう」と楽観してぼんやりと過ごしてしまいました。

だけど40歳になる頃に妊娠しないことに対して「なにかおかしい」と思い始めたんです。「子どものことをどうにかしたい」と思いながらも誰かに相談したり不妊治療をしたりという行動はできず、結局ひとりで悩み続けました。その頃から、仕事で子どもと関わることを辛く感じるようになりました。

―子どもと関わりたくて選んだ仕事だったけれど、逆に子どもと関わることが辛く感じるようになったのですね。

はい。そのような状況になって「これまで子どもと関わる仕事をしてきたのは、いつか自分に子どもが生まれたときに役立つと思っていたからだ」ということに気づきました。打算的なところがあったように思います。

だけど40歳になって「子どもを持てないかもしれない」という現実を突きつけられたときに、「もういやだ」と感じるようになり、子どもと関わる仕事が一切できなくなりました。

―その後、不妊治療を始めたのですか。

年齢的に妊娠はむずかしいと理解したうえで不妊治療を始めたのですが、長くは続けられませんでした。不妊治療に関する雑多な情報にストレスを感じたり、年賀状をみてがっかりしたり車のCMを見て辛くなったり。卵管造影検査をしたときに、痛みと苦しさで気絶してしまったこともあります。

タイミング療法、人工授精に挑戦したのですが、精神的、肉体的、経済的に不妊治療は何回も続けられないと感じ、42歳になる誕生月で不妊治療は終わりにしました。本当にみんなよく頑張っているなと尊敬します。

―不妊治療をやめた後はどのような気持ちでしたか。

子どもがいない人生を全く想像していなかったので、何をしたらいいのかわからなくなり、立ち直るまで本当に時間がかかりましたね。

私の家族はみんなクリスチャンで、小さい頃から家族みんなで教会に行っていたので、私も子どもを産んで家族みんなで教会に行く人生を、当たり前のように思い描いていました。今住んでいる家も、家族が増える前提で建てましたし、私の中で「子どもを産んで家族が増えていくこと」は至上命題だったんですよね。

治療をやめることは自分で決めたけど、「子どもがいない人生」を歩んでいくことは、しばらく受け入れられませんでした。青空の下で洗濯物を干していても自然と涙がこぼれるような状態で、「この先、私が笑える日なんて来ないだろう」と思いながら毎日過ごしていました。

今でも35歳頃の自分に言ってやりたいです。「遅い!遅いよ!」「何もしないと何も変わらないぞ!」と。

「人生を立て直す」手当たり次第の挑戦

ー「子どもがいない人生」を受け入れられない日々からどのように立ち直ったのですか。

当時、唯一救いだったのはゴスペルを続けられていたことです。心と体はエネルギーが枯渇しているし、ヒビだらけなので補充してもザルのようにドバドバと流れ出ていく感じでしたが、ゴスペルを歌うと出ていった倍のエネルギーが入り、ちゃんとエネルギーが補充されるような感じでした。セーフティーネットの役割になっていましたね。

ひどい顔をしながらでもゴスペルに行くと、全然違うスイッチが入って心から楽しめていたので、ゴスペルのおかげで生き延びたといえます。

ーゴスペルで発散するのかと思ったのですがエネルギーが入ってくるのですね。

出すから入るのかもしれません。いろいろな黒いものが出ていって、空いたスペースに新たなエネルギーが入ってくるイメージです。今でもクリスチャンであることとゴスペルで歌っていることが、いろいろな面で私を奮い立たせるエネルギーになっています。

(本人提供)

ーその後、どのような経緯でマインドフルネスやカウンセラーの活動へと進んだのですか。

42歳で不妊治療を終わらせた後、家族の病気も重なり「私は私の人生を立て直さなければならない」と強く思ったので、いろいろなことに挑戦しました。たまたま目にしたメンタルヘルスの資料にマインドフルネスのことが載っていて「これは面白そう。今の私に必要かもしれない。」と思い、本やCDを買って自分でやるようになりました。

マインドフルネスをすると体が楽になり気持ちも落ち着いたので、本格的にマインドフルネスに取り組み始めました。

ーご自身のためにマインドフルネスを始めたのですね。

そうですね。マインドフルネスに取り組む中で心理学に興味を持ち、通信制の大学で心理学の講座を受講するようになりました。一通りの授業を受講した後は心理に関する資格を取得したいと思い、産業カウンセラーの資格を取得しました。

また、以前から歌唱に関連して取り組んでいたアレクサンダー・テクニーク(注1)にもマインドフルネスと共通するものがあると感じ、アレクサンダー・テクニークの教師養成スクールにも通うようになりました。「手当たり次第なんでもやる」というのが当時(45、46歳)の私のテーマで、とにかくいろんなことに挑戦しましたね。

ほかにはAcceptance and Commitment Therapy(アクセプタンス&コミットメント・セラピー、ACT)も学びました。ACTにも、アレクサンダー・テクニークに通ずるものを感じたり、セラピーの要素の一部にマインドフルネスがあったりして学んできたことが全て繋がっていくような感覚でした。別々のことを学んでいるようですが、3段階くらい抽象化するとみんな一緒、という感覚です。

ーそれぞれの学びに特徴はあるけど元の部分で繋がっているような感じですね。いろいろな挑戦をして、最後に不妊ピア・カウンセラーの資格を取得したのですか。

心理に関する学びをいろいろしましたが、やっぱりNPO法人Fineの「不妊ピア・カウンセラー」はずっと気になっていました。不妊の傷は消えないし、これからも完全に傷が癒えることはない。だけど自分の経験を活かしたい気持ちもある。

「あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」という聖書の言葉を読んだときに、「不妊治療の渦中であったり卒業した人であったり、いずれにしてもしんどい体験をしている人がいるのであれば今度は私が助ける番」と感じ、最後の挑戦として不妊ピア・カウンセラーの資格を取得しました。

注1 :アレクサンダー・テクニーク
F.M.アレクサンダーの発見した原理にもとづいて心身の不必要な緊張に気づき、これをやめていくことを学習する手法。

自分で自分をケアするための「身体の使い方」

ー潤さんは不妊ピア・カウンセラーとしてどのような活動をしているのですか。

クライエントの話を傾聴することはもちろん、アレクサンダー・テクニークを使って身体の使い方を意識してストレスを軽減していく方法をお伝えしています。

例えばクリニックの先生と話をするときに「何を言われるのかな」「結果を聞くのが怖いな」と思うと緊張して体がキュッとなってしまいますよね。その時に自分の身体を固めないでフリーにしたまま、きちんと先生の話を聞いて自分の言いたいこともしっかり話すためには身体をどのように使ったらいいのか、ということを一緒に練習していくイメージです。

(本人提供)

―具体的な場面を想定して身体の使い方を練習していくのですね。

もっと具体的な話をすると、内診台に寝た場面で緊張をほぐすときには首をラクにしてみる、内診台に触れている背中の感触を思ってみる、頭の方向性を思ってみるなどの方法があります。長くて広い背中が存在する、肩の関節も静かにしているけどいつでも動ける、といった身体の感覚に意識を向けながらその時間を過ごす、みたいなイメージで練習します。

他には呼吸の仕方で診察中の体の緊張を軽減できるかもしれません。息を吐くと骨盤底筋は収縮して息を吸うと骨盤底筋は緩みます。なので、器具を入れるときは息を吐くのではなく、吸った方がいいんです。リラックスしてと言われると息を吐くと思いがちですが、身体に器具を入れる場面においては息を吸う方が体のストレスを軽減できる可能性があります。

自分の体をどう使うかで診察が終わった後の疲れが全く違うので、こうした知識を知って少しでも通院のストレスを軽減してほしいです。

―内診では息を吸った方がいいと知りませんでした。カウンセリングでは今の気持ちを言葉にして整理していくイメージですが、潤さんはカウンセリングにプラスして身体の使い方からもアプローチしていくのですね。

そうですね。不妊治療をしている間も不妊治療を終えても生活は続きますし、不妊治療の終わり方も人それぞれです。子育てが始まる人もいれば始まらない人もいる。

いずれにしても自分の心と身体とは最期まで付き合っていかなければならないので、身体の使い方からもアプローチをして心に負担をかけないための手段を知っておくことは、今後の人生においても役に立つと思います。

(本人提供)野外でアレクサンダー・テクニークをしている様子

「ひとりになる必要はない」あなたを助けてくれる人は必ずいる

ー幅広い経験や学びを掛け合わせた潤さんならではのサポートですね。

私の場合はクリスチャンの方と関わることも多いので、彼女たちへのサポートもしていきたいと思っています。キリスト教はファミリーで動くことも多く、クリスチャンで不妊に悩む人の中には、子どもがいないことで肩身の狭い思いをしている人もいます。

また、キリスト教は前向きな教えなので「あなたが経験していることは無駄にならない」「あなたが今経験していることもすべて神様が益にしてくださる」と言われると余計に悩みを言えず、表に出てきにくいように感じます。

先日、とある女性の牧師さんに「潤ちゃんはそういう人たちのために立ち上がってほしい」と言われたこともあり、ニッチな分野ではありますがしんどい思いをしている人が確実にいるので、彼女たちへのサポートもしていきたいです。

ーいろいろな経験をしている潤さんだからこそ気づける視点がたくさんあると感じました。潤さんの経験を聞いて救われる方も多いと思います。最後に不妊に悩む方にメッセージをお願いできますか。

前向きな励ましやアドバイスは言いたくないので「ひとりで悩まなくていい。ひとりにならなくていい。あなたをサポートしてくれる人は必ずいる」というメッセージを伝えたいです。

聖書に「求めなさい。そうすれば、与えられる」「探しなさい。そうすれば、見つかる」「門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」という言葉があります。私も一番不妊に悩んでいた40歳くらいの頃に、偶然出会った有名な産婦人科の先生に初めて不妊の悩みを話したことをきっかけに不妊治療を始める決意ができ、行動できずにいた10年が一気に動き始めました。この経験からも諦めずに求めてさえいれば、道は必ず開かれることを実感しました。

妊+にはいろいろなカウンセラーさんがいるので、ショッピングをする気軽さでアクセスしてほしいと思います。きっとあなたに合う人はいるので、ひとりで悩まず求めてほしいです。

(本人提供)

―不妊治療を始めるのが遅かったことを後悔し、手あたり次第に挑戦して不妊ピア・カウンセラーになった潤さん。バイタリティ溢れるその活動は、行動できずにいる女性の背中を優しく後押ししていくことでしょう。今回は素敵なお話をお聞かせいただきありがとうございました。

内藤 潤さんのカウンセリング予約はこちらから

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