こんにちは!
卵子提供を受けて妊娠・出産し、
不妊ピア・カフェを主宰している
綾原みなとです。
しばらくここに投稿できずにいるうちに、
とうとう12月になりました。
師走はなんとなく、
気持ちがザワザワしますよね…。
妊活中はなおさら、
今年こそは妊娠しているはずだったのに…
など、切ない思いを抱えて
年末を迎えていた記憶があります。
ここを読んでくださっている皆様が、
暖かく穏やかな12月を
過ごされますように!
さて、今日からしばらく、
私が卵子提供を受けるまでの
日々を振り返って
体験記を連載します。
ちょっと長めですが、
自分でも予想外の方向に進んだ妊活の物語
しばらくお付き合いください。
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私は長年の不妊治療のあと、海外に渡航し
匿名のドナーさんから卵子の提供を受けて
妊娠・出産しました。
いまは、そうして授かった2人の子どもたちを
夫とともに大切に育てています。
私はもともと子どもが好きで、
学生時代は子どもと遊ぶサークルに
入っていました。
大人とは違う眼差しで
世界を見ている子どもたちの
内側を想像したり、
その新鮮な眼差しをつかの間、
共有させてもったりすることを、
自分にとって大切で幸せな時間だと
感じていました。
しかし、大学を出て就職してからは、
余暇を楽しむ余裕もないくらい
仕事に没頭するようになりました。
早く一人前なりたい。
責任の重い仕事を
自立してこなせるようになりたい、
というのが、
当時の一番の関心事でした。
自分の健康を顧みず
仕事に邁進する日々の中で、
夜は職場の机の横に椅子を並べて
ベッド代わりに仮眠するような生活を
数年続けました。
そして、気がついたときには、
何ヶ月も生理が来なくなっていました。
生理から解放された生活は、
頻繁に職場で徹夜する働き方に合っていて
便利でした。
生理が軽い私は、女性として恵まれている
とさえ感じていました。
しかし、そんな生活は長続きするはずもなく。
過労からうつ病を発症し、
天職とまで感じていた仕事を
手放すことになってしまいました。
思い描いていたキャリアパスから転落し、
仕事を通した社会貢献という
人生の目標に破れたことは、
初めのうちは大きなショックでした。
でも、そのとき寄り添ってくれていた
パートナーと結婚し、
穏やかな日々をすごすうち、
仕事で一人前になることへの執着は
次第に薄れていきました。
成功とか成長を追い求める生き方ではなく、
気の合うパートナーである夫と一緒に
自分たちらしい子育てをしていく未来を
思い描くようになりました。
結婚当初、夫は仕事が充実していて、
子どもを持つことを
現実的に考えていない様子でした。
それでも、私が身近で見かけた子どもの話などを
しているうちに、
子どもに興味を持つようになりました。
私は当時、体調がまだ万全ではなく、
生理も途切れがちでしたので、
地元の一般の婦人科で数回見てもらったあと
すぐに不妊治療専門のクリニックに転院しました。
そして、転院時の初診の検査で、
卵巣の中の卵子の数を示すAMHという値が、
検査機器で検出できる値より少ない
(検出感度以下)という現実を
突きつけられたのです。
どうやら、私の卵巣は空っぽのようでした。
医師は、AHMはあくまで
「卵巣予備能」の数値であって
卵子が全く無いわけではない、
卵子が一つでもあれば妊娠を目指せる、
と励ましてくれましたが、
そのように楽観する気分には
なれませんでした。
卵巣が空っぽなのは、
二十代のころに自分を顧みない働き方を
したせいだと思いました。
生理が来ないのは、
ラッキーなことなどではなかったのです。
昔の私は仕事にしか関心がなくて、
自分の命を燃やすみたいな
働き方をしてしまったけれど、
燃えていたのは私の命ではなく、
私の子の命になるはずだった
卵子だったのだ、と思いました。
(続く。ここまで読んでくださって
ありがとうございます♡)
コメント
つづき、待っています🥹
@不妊カウンセラー藤岡麻美 さん
ありがとうございます😂
めっちゃ長いですが、いちおう完結しているので、このあとも少しずつ連載いたします😆✨