「みんなと違う」を肯定する

「みんなと違う」を肯定する

こんにちは。
卵子提供を受けて育児中の
綾原みなとです😊

私が
卵子提供を受けると決めたとき

怖いような、
安心できず緊張するような、
そら恐ろしい思いを感じたことを
覚えています😰

あの怖さって、

☁️これって受けて良い治療なのかな?

☁️生まれる子どもは幸せになれるかな?

などに加えて、

☁️みんなと違うけど、大丈夫かな…

という思いがある気がします。

「みんなと違う」を肯定する

🕊️

卵子提供や精子提供、代理懐胎、
あるいは養子縁組…。

みんなと違う家族構成を選ぶことは、

「これからは
みんなと違う自分になる」

と受け入れることでもあって、

それには勇気が必要です😖

とくに、それまで
みんなと同じように
「ふつう」でいられるように
気を遣って生きてきたなら🥺

ふつうと違う道を選ぶことを
自分自身で受け入れる、
受容するのって、

自分で望んだ選択であっても
意外と大変。

最近よく、

「精子提供や卵子提供を
受容できていないなら
治療に進むべきではない」

などの厳しい教えを耳にしますが、

この「受容」って結局
何なのでしょうか?

私はそれは、

🍀みんなと違う自分を肯定する

ことじゃないかなと
思っています☺️

🍀マイノリティである自分を
抱きしめて許すこと

🍀みんなと同じでいられる時代は
いつかは終わり、
やがては自分の足で
自分だけの道を行くことが
自立した大人の人生なのだと
認めること🥹

言うならば

🍀一人の人間として
自分自身を尊重して自立すること

その自立を叶えることが
卵子提供などで究極の
マイノリティとして
生きていくことを
自分で肯定するための
大事な作業のような気がしています。

これから家族に加わる子どもに
「みんなと同じ」な出発点を
与えてあげられなくても、

それでもきっと大丈夫😊
マイノリティでも大丈夫😆

そういう肯定的な感覚を
親自身が持っていることで、

子どもも安心して
この世界の中に歩き出していける
ように思います😊

そして、この
一人の人間として
マイノリティとしての自立の作業は

上に挙げたような
「受容できていないなら
治療を受けるべきでない」
などの厳しい教えとは違って、

治療を受けたあと
子どもを育てながら
育ちゆく子どもと一緒に

🙆‍♀️「みんなとは違うけど
これで良いのだ」

と、腹の底から
感じられる日々を
積み上げていくことで

充分間に合うのではないかと
私は信じています💐😊

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コメント

  1. わかります。
    私はみんなと違うけど、みんなそれに気づかないでしょ言わないとって思ってました🥹

  2. @Yuuki さん

    そうなのです、卵子提供も養子縁組も言わなきゃバレないから(顔が似てない親子なんて沢山いるし)、皆と同じっぽくしていられちゃうんですよね🥺

    バレると面倒な相手に事情を開示する義理はないし、家族の大切な成り立ちは家族だけの物語として大切にしていきたいですけど、

    それと同時に、自分の中で、「人と違うからダメなんじゃ…」みたいな不安が残っていると、しんどい気がします。

    子育ての過程で、みんなと違う自分にどんどん慣れていきたいなと思っています☺️

  3. 本当に、開示する義理はないですよね。
    そうですね。
    私は、里親会に行くとみなさんが良くして下さるのですが、その反面普通の生活なら存在しないその集まりに、違いを感じて苦しくなることがあります。

    きっとそうゆうことなんですよね🤔

  4. @Yuuki さん
    「面倒なだけの相手に開示する義理はない」って、私マジでそう思ってます。
    タブーだから隠すのじゃなくて、家族の大事な物語だから、大切に守っているのですよね〜💝

    そして、里親会とか、ふぁみいろみたいな当事者会とかだと、それまでの人生で出会ってこなかった人たちとの出会いが満載で、日々刺激が強いです😂
    それまでのコミュニティと距離があればあるほど、「私もずいぶん遠いところまで来たな〜」と感じます🥺
    そのぶん、人生に幅が出て、アタシ素敵な大人になってるやん❣️って思うことにしています😂

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